日蓮聖人法難の場所として知られる。鎌倉で辻説法を繰り返していた日蓮は、鎌倉幕府につかまり、この地の処刑場で処刑されかけたが、処刑されようとしたその時に、天地異変が起き、まぶしい光で処刑が中止になったと言われる場所。この話は日蓮信者が日蓮を神格化するために作られた話と思われているが、そうでもないところがある。その理由として、当時日蓮には弟子も信者もほとんどいなかったし、一般人が処刑場に立ち入る事は出来なかった。また処刑は幕府の内部で前日に中止となり、佐渡への流刑がきまっていた。この話は幕府の穏健派が強硬派の武士や禅宗の高僧を納得させるために、地元で語り継がれていた皆既日食の話を基に作られた話、と私は思う。現在本堂のある場所が処刑場の跡地、写真左側には日蓮が一晩閉じ込められたという土牢がある。コリーヌより徒歩15分。